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「奥備後・比婆の街から」

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備後東城のYAPPONによる随筆集です。
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ほろんちゃんといっしょ#1 ためしげ福寿草まつり 2017.3.19

2017/03/20 17:29
 「暑さ寒さも彼岸まで」のことわざ通り、3月後半となった備後東城の里も春を思わせる暖かい日が増えてきました。ただ、この辺には「彼岸過ぎて七雪」という言葉もありますので、この冬が雪が多くかなり寒かったので、まだ寒の戻りには気を抜けないでしょうね。

 東城の春の訪れをいち早く告げる福寿草の花を地区の皆さんで大切に育てている久代為重地区で、恒例の「為重福寿草まつり」が開かれていました。
 これまで通り単に花の写真を撮るだけでは面白くないので、今回からは備後東城「お通り」のアイドルキャラクター「ほろんちゃん」の人形を持って行って花と一緒に撮り、ほろんちゃんが福寿草まつり見物をしているような映像作品にしてみました。


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 最近は多くの方々がスマホや一眼レフカメラで、東城近辺の素晴らしい写真を公開されており、自分の写真にも限界が見えてきましたので、しばらくは『ほろんちゃんといっしょ』をシリーズ化して、これまでとは違った方向から備後東城の里を取り上げていこうかなと思っています。
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醸造の里 東城

2017/03/10 01:27
 まずは、この映像をご覧ください。


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 前に車で街なかを通った時、何か大がかりな撮影をやっているなぁと見かけたのですが、この映像の撮影だったようですね。
 短い映像の中で、東城の伝統の味を受け継ぐ人々の言葉にスポットを当てて紹介しています。
 「醸造の里 東城」という当地を表す言葉がまた一つ増えました。
 百年を超える東城の老舗の人々が生み出す味を、ぜひあなたの舌で確かめてみてください。
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2017年の天領上下ひなまつりを見て歩く

2017/03/04 16:41
 「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」との言葉の通り、異常に暖かかった正月が終わり、1月後半から2月にかけて何度も寒波が襲来して大雪が降り、週末自宅に足止めを食らってお出かけできなかったら、あっという間に3月が来てしまった感じです。ブログ記事も2月は追加無しで終わってしまいました。

 2月も下旬となってようやく寒さも緩みだしたので、2月最後の週末に府中市上下町で始まっていた「天領上下ひなまつり」をデジカメバッグを抱えて見て回ることにしました。
 沢山撮影した画像と動画を合わせて映像作品にまとめましたので、ご覧ください。


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 上下のひなまつりは、2010年に母と姪を連れて観に行って以来だったのですが、雛飾りの展示がさらに多彩になっていたとともに、古い建物をしっかり残した街作りがされていて、見どころ撮りどころが満載でした。
 東城の街が空き家が次々と取り壊されて、駐車場ばかりが増えているのとは対照的でした。
 これら古い街並みをこれからも大切に残していってほしいところです。
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詩人 白鳥省吾と帝釈峡小唄の誕生

2017/01/17 17:22
 備後東城の里での盆踊りの定番と言えば「帝釈峡音頭」ですが、そのレコードの裏面に収載されてあまり脚光を浴びて来なかった「帝釈峡小唄」は、若き日の島倉千代子さんが歌っていました。

 その「帝釈峡小唄」にも知られざる踊りの振り付けがあり、昔その踊りを習ったことがある方にご参加いただき、2015年6月に行われた新緑の帝釈峡をバックに踊りを映像に残そうというプロジェクトに、私も撮影助手として参加させていただきました。
→ブログ記事 : 神龍湖畔で踊る帝釈峡音頭・帝釈峡小唄

 その後、映像の撮影と制作を行われた東城高校OBの小坂義紀さんのご友人で、元校長の和田匡弘先生が「帝釈峡小唄」が生まれた経緯を詳細に調査され、その資料をまとめられたものをいただきました。
 その一部をここに転載し、知られざる名曲「帝釈峡小唄」の誕生秘話を明らかにしたいと思います。

 まず、帝釈峡小唄の原詩を詠んだ詩人 白鳥省吾については、下記のWEBサイトをご覧ください。
ウィキペディア : 白鳥省吾
詩人 白鳥省吾を研究する会 HP

 次に、帝釈峡小唄の作詞者である赤松月船については、下記のWEBサイトをご覧ください。
ウィキペディア : 赤松月船
吉備路文学館 : 赤松月船

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1.白鳥省吾先生(以下敬称略)の詳細な動向
 (白鳥省吾研究会事務局代表 佐藤吉一氏から白鳥省吾本人の手帳を提供)

@大阪中央放送局の番組「詩の朗読と鑑賞」第4回自由詩の収録のため、昭和13年(1938)3月14日に東京を出発し関西へ。 3月16日に収録し17日に放送。
 それに合わせて、当時地元店舗や旅館の依頼により帝釈峡を観光名所として売り出すため、県議会議員で比婆郡東城町の野上民三郎と帝釈川発電所に勤務していた神石郡新坂村の真田幸作が、大阪滞在中の白鳥省吾を訪問し座談会。

A3月19日 白鳥・野上・真田の三名は、朝大阪から特急列車に乗車し、岡山から伯備線列車に乗り換え、新見駅に到着。4人が白鳥らを新見まで迎えに出る。

B3月20日 五品城址(五品嶽城跡)にのぼる。棟瓦をほる。

 ※感想の記述があるが○○などが分からず、一部しか判読できず。
  四周の山萩美し五品の昔
  木はおのゝの○決めて○○に永くのび
  選ばれたる山に
 ※以下判読不能

C3月21日 堰堤、雄橋、断魚渓見学

 ※道中記述あるも判読できず。

D東城に2泊されているが、宿泊旅館等の記述は無い。
 断定はできないが城山に登っておられることから、城山に最も近い「東城ホテル 逓信省・鉄道省指定旅館」ではないかと思われる。大正末期の街並み図では、岸氏経営で「岸 旅館」と記述されている。

E当時、「東城時事新聞」が月刊として発行されていた。編集兼発行人は松田謙氏で、現松本荘旅館主の祖父にあたる。「東城時事新聞」は当旅館に所蔵されていたが、記述されている可能性のある昭和13年4月号(第60号)が欠落されているため、事実の確定ができないままである。

2.白鳥省吾と野上民三郎・真田幸作とのかかわり

@佐藤吉一氏によると、白鳥省吾はよく広島に行っており、かねてより東城町の二人との出会いがあったものと思われる。具体的なかかわりは定かで無い。

A真田敏雄氏宅に、福島県いわき市出身の実業家・政治家である星一(1873-1851)と岩手県奥州市水沢区出身の医師・官僚・政治家である後藤新平(1857-1929)が揮毫した額がある。二人を通じての白鳥省吾との出会いは無かったか?(佐藤吉一氏は否定の見解)

3.白鳥省吾揮毫の扁額・掛け軸・短冊

@真田幸作所収の掛軸に「依嘱」と記されており、真田幸作が書を依頼されたもので、後日揮毫して届けられたものと思われる。(佐藤吉一氏談)

 扁額 「藍原にて 箒川せゝらくうへの 春の星」 <旅情カバン>
 掛軸 「おもひ堰かれりゃ 恋しさ増さ留 水も火となる夢もある」 <帝釋峽小唄>

A野上民三郎へは、短冊を渡されている。(広島在住の孫が保存)

 短冊「まゐりませうよ帝釈さまに 鐘もきゝましょ朝あけに」<帝釋峽小唄>

4.白鳥省吾と赤松月船との交流

@赤松月船と白鳥省吾との交流は一切分からない。(赤松月船研究会 定金恒次氏談)

A赤松月船は、関西を基盤として活動していたと思われる。

B日本詩集1924年版によると、新人と見なされる詩人、「赤松月船等11名」と思われる。

C関東大震災詩集「災禍の上に」(詩話會 白鳥省吾等編)に、赤松月船他49名の詩人が詩を寄せている。

D大正13年11月21日夜8時、萩原恭二郎・岡本潤・赤松月船が酒を帯びて白鳥省吾を訪ねていることが、「白鳥省吾年譜」に記されている。
 赤松月船等が省吾を訪ねたのは、川路柳虹の言を省吾の言と勘違いしたことを詫びるためであったらしいが、これは省吾ならず詩話會委員に対する不満が、詩話會の一般会員の中でくすぶっていたものを思われる。

E「詩話會」解散ののろしを最初に上げた詩人は、赤松月船と思われる。(以上、佐藤吉一氏談)

5.白鳥省吾の「帝釋峽小唄」と赤松月船の「帝釈峡小唄」

@定金恒次氏によると、赤松月船作詞の「帝釈峡小唄」のことは、記述された詩集・資料等が無く、知り得ておらず、島倉千代子が歌っていたことも知らなかった。

A佐藤吉一氏によると、白鳥省吾は昭和13年3月19日から21日まで東城町と帝釈峡を訪問しており、その時作った「帝釋峽小唄」を、自誌「地上楽園」昭和13年7月号(最終号通巻88号)の21頁に掲載している。

B定金恒次氏の考えでは、赤松月船の詞と白鳥省吾の詩にほぼ同じ部分があるので、白鳥省吾の「帝釋峽小唄」の一部を、約20年後に赤松月船が参考にしたのではないか。ただ、あまり親密な関係とは言えなかった二人でありながら、「帝釈峡小唄」の作詞をめぐって、どのような関わりがあったか定かではない。

 ・まゐりませうよ帝釋さまへ 鐘もきゝましょ朝あけに <白鳥省吾>
 ・ハアー 参りましょうよ 帝釈さまへ(チョイトネ チョイトネ) 鐘も聞きましょう 鐘も聞きましょう 朝あけに 朝あけに <赤松月船>

 ・思ひ通はす雄橋に雌橋 逢瀬遮ぎる断魚渓 <白鳥省吾>
 ・ハアー 想いかよわす 雄橋に雌橋(チョイトネ チョイトネ) 逢瀬さえぎる 逢瀬さえぎる 断魚渓 断魚渓<赤松月船>

※お囃子※
 ・トロリトセッセ サラリトセッセ <白鳥省吾>
 ・トントントロリコ トロリコセー サラリサラリコセー <赤松月船>

C白鳥省吾は「帝釋峽小唄」の冒頭で次のように記し、帝釈峡を高く評価している。

 アア西に帝釈東に十和田ノーエ ほんに日本の二つ星

6.帝釈峡音頭(歌 青木光一)と帝釈峡小唄(歌 島倉千代子)のレコード制作と発売

@帝釈峡観光協会によると、約60年前に地元関係者が観光振興へレコード制作を呼びかけたという。日本コロムビアがレコードを制作。帝釈峡音頭の歌詞には石の天然橋 雄橋・雌橋をはじめ神龍湖の遊覧船など名所が織り込まれ、地域の盆踊りや祭に徐々に浸透していった。

A日本コロムビアが全国ご当地の依頼を受け、ご当地ソングとして制作、依頼地限定で発売した作品の一つ。レコード番号PR-1795は、プライベート(ご当地)版であることを示している。制作にかかる経費等はご当地が負担されたものと思われる。
 なお、帝釈峡音頭は昭和33年(1958)6月17日に、帝釈峡小唄は同年6月23日に録音されている。なお、帝釈峡小唄の作詞のいきさつは不明である。(日本コロムビア お客様相談係談)

B帝釈峡音頭は現在も盆踊りや祭りで踊られているが、帝釈峡小唄はお座敷小唄なので踊り継がれておらず、踊れる人はきわめて少数である。

7.白鳥省吾と倉田百三

 広島県庄原市出身の作家 倉田百三は、吉川英治氏の依頼を受け、白鳥省吾と一緒に昭和10年(1935)8月11日から一週間にわたり、岩手県宮古・釜石・大槌等で巡回講演をしている。(佐藤吉一氏談)

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 それでは、若き日の島倉千代子が歌う帝釈峡小唄をお聴きください。


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 このような経緯を経てレコード制作につながった「帝釈峡小唄」を広く世に知らしめるとともに、帝釈峡の素晴らしさを高く評価した詩人 白鳥省吾の存在を永く後世に伝えていくべく、和田匡弘先生を中心に歌碑の建立を計画中です。私の勤務先でもその趣旨に賛同し、歌碑の石材としてフズリナの化石を含んだ黒石灰石を提供することとしています。(耐久性に問題があり、道後山産の石材に変更となりました)
 歌碑建立実現に向けて、帝釈峡を愛する多くの皆様のご賛同とご支援をいただければ幸いです。

 以上、郷土史秘話ヒストリア 『詩人 白鳥省吾と帝釈峡小唄の誕生』の回を終わります。YHK・・・


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2017元日JR西乗り放題きっぷで山陽新幹線”秘境駅”巡り

2017/01/04 13:46
 私のインターネット発信をご覧の皆様に、新年のお慶びを申し上げます。
 昨年は私を取り巻く仕事上の環境が一気に変わってしまった一年でしたが、今年から託された新たな任務を遂行できるよう努力していくつもりです。
 ネット人格『備後東城のYAPPON』は、相変わらずだらだらと情報を流し続けますので、お付き合いのほどをよろしくお願いします。

 私の正月はもっぱら寝正月で過ごしてきたのですが、兄夫婦が帰省してきて母との留守番をしてもらえるときこそお出かけしようということで、JR西日本が元日限定で新幹線・特急も乗り放題のきっぷを売り出していましたので事前に購入しておいて、元日早々に乗っ撮り鉄の一日を過ごすことにしました。
 夜明け前に新見駅を出発し、夜新見駅へ帰ってくるまでの行程を映像作品にまとめましたのでご覧ください。


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 仕事に追われて忙しい毎日ですが、またぶらっとお出かけして撮ってきた映像をネット上に撒き散らしますので、これからも見てやってください。
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2016-2017 くしろ宮原イルミネーションと打ち上げ花火

2016/12/17 04:00
 12月後半に入った備後東城の里では、ようやく初積雪があり本格的な冬の到来となりました。

 今や他の追随を許さない東城の年末年始を彩る地区イベントとなりました「くしろ宮原イルミネーション」が地元住民の皆さんにより行われており、今回も打ち上げ花火が行われた2016年12月10日に現地に撮影に行きましたので、その模様をご覧ください。


[ YouTubeで再生 ]

 今回は、打ち上げ花火と電飾の数々が重なって映像に収められるように、離れた高台から撮影してみました。真っ暗闇に電飾の瞬きと花火の閃光が映えますね。

 打ち上げ花火はこの晩だけでしたが、電飾は連夜点灯しておりますので、ぜひ現地でご覧ください。
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セルスターのGPSレーダー探知機AR-383GA+ドライブレコーダーCSD-500FHR

2016/11/23 17:07
 この秋の備後東城の里は、異常に暖かい日が多く、紅葉の盛りも例年より二週間遅かった感じですが、11月下旬となって急に寒くなってきました。

 おぢさん世代の私は、車の速度計の数字が上がるより燃費計の数字が上がることの方に喜びを覚える質なので、スピード違反で捕まるほどの速度で走ることは希なのですが、取り締まりを早めに察知してお急ぎの後続車に道を譲って、いささかでも国の財政再建に協力できるようにと心がけております。(悪趣味)
 地理不案内な場所を走行している時でも交通取締箇所をいち早く知る手段として、車の買い換えごとにGPSレーダー探知機も買い換えすることにしているのですが、愛車をホンダシャトルへ乗り換えした際にも、セルスターのGPSレーダー探知機 ASSURA AR-383GAを購入して取り付けました。

 GPSレーダー探知機は、各社様々な機種を商品化されていて性能にもそれほど差は無さそうでしたが、セルスターのは取り締まり地点データの更新を無線LANで自動で行ってくれることが決め手でした。
 最近のスピード取り締まりは、速度計測の際だけ電波を照射するステルス波や電波を発しないループコイル式など、レーダー波受信機能だけでは検知できないものが増えてきたそうなので、登録されている取り締まり地点に接近してきたら早めに警告してくれて、かつレーダー波を検知できれば、確実に取締中であることを確信できますので、取り締まり地点データの鮮度はより重要です。
 自分が遠くへドライブする際には、3Gルーター経由でネット接続したiPodで外国のネットラジオをカーオーディオで鳴らしながら運転するのですが、AR-383GAも3Gルーターにwi-fi接続するように設定してあるので、最新データがあれば簡単な操作で最新の取り締まり地点データに無料で更新してくれます。
 他社にも無料データ更新に対応しているものがあったのですが、他社の機種はパソコンでダウンロードしたデータをマイクロSDカードを使って手動で転送更新しなければならず、情報の鮮度と手間の問題からセルスターの機種を選択しました。

画像

 GPSレーダー探知機はダッシュボード上に取り付けて使用していたのですが、この夏のノートパソコン買い換えでポイントが相当貯まったので、それを使ってセルスターのドライブレコーダー CSD-500FHRを追加購入して取り付けました。
 ドライブレコーダーCSD-500FHRは、電源やGPSデータをGPSレーダー探知機AR-383GAから供給してくれるので、接続ケーブルが1本だけで済みました。また、録画映像の再生やドライブレコーダーの設定がGPSレーダー探知機の画面とリモコンで操作できるので、CSD-500FHRは非常にコンパクトで、ルームミラーの向こうに隠れて視界を遮りません。

 CSD-500FHRはフルHD(1980×1280ドット)での録画が可能ということで、久々に東城広域農道を走行したものを自動録画されたファイルから、ドライブレコーダーの機能解説文付きの映像作品にしてみました。


[ YouTubeで再生 ]

 映像の自動調整機能にぎこちない点が見られ、デジカメの動画撮影機能より劣る感じもしますが、十分鮮明な映像であり、放浪ドライブ映像作品の動画素材としても使えそうです。

 無事故無違反40年表彰をもらえるよう、GPSレーダー探知機AR-383GAとドライブレコーダーCSD-500FHRとともに、これからも安全運転に努めます。
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