「奥備後・比婆の街から」

アクセスカウンタ

zoom RSS 道後山駅は今

<<   作成日時 : 2010/09/14 21:31   >>

トラックバック 0 / コメント 8

 9月に入っても昼間は真夏のような暑さが多かった備後東城の里も、中旬に入って朝はようやく20℃以下に気温が下がるようになってきました。

 先日備後落合駅の写真を掲載したところ反響が多かったので、先週日曜日午後に道後山駅を撮影してきました。

画像
 駅に着くと、駅舎は前回訪れた時のままで、元駅事務室だった部分は消防団のポンプ車の車庫でしたが、駅舎横のトイレはログハウス風のきれいなものになっていました。

画像
 駅入口の看板は、かつてホームの駅標だった板を流用して表面を塗り直して書いたものですが、塗ったペンキがはげ落ちて元の駅標の文字が見えていました。これもまた風情がありますね。

画像
 駅の待合室に入ると、木製のベンチに何枚もの座布団が詰んでありました。駅ノートを見ると、全駅訪問チャレンジ中の鉄道ファンがこの駅で夜を明かしたという記述がありましたので、敷き布団と枕代わりに使われたことでしょう。

画像
 プラットホームに出ると、かつて長編成の急行列車停車駅だった名残の長いホームが、向かい側にも線路が撤去され草ぼうぼうのままで残っていました。
 比婆道後帝釈国定公園にある道後山スキー場の最寄り駅ということで、広島行の急行たいしゃく号が東城を出ると、次の停車駅は道後山駅でした。真冬になると岡山や広島からの臨時のスキー列車も、道後山駅や木次線三井野原駅まで運行されていましたね。

 写真を撮っていたら、一日3往復しかないうちの一本が来る時刻になりましたので、動画で撮影してみました。

 道後山駅にいると、自家用車でお子さんと一緒に神戸から帝釈峡に来たついでに道後山駅に立ち寄ったという家族連れと、JR線乗り尽くしで列車から降りたった東京からの鉄道ファンの男性と遭遇しました。BS衛星放送では鉄道紀行番組がいくつも放送されていますので、今鉄道ファンが熱いです。

画像
 駅舎の向かいにあるお店跡は、カーテンが閉められ鍵がかかって、ひと気もなくひっそりしていました。入口に取り付けられている『国鉄旅行連絡所』のプレートが示すように、このお店が道後山駅から道後山スキー場間の連絡バスの発着場となっていて、かつてはスキー客や登山客がこのお店で飲食しながらバスや列車を待っていたものでした。
 私は子供の頃鈍くさかったのでスキーはしなかったのですが、東城高校の春の遠足の時、東城駅から道後山駅の間は普通列車に乗って、道後山駅から道後山スキー場までの狭いくねくねした道をクラスメートと徒歩で往復したのを思い出します。

画像
 道後山駅のすぐ隣には小規模な高尾原スキー場があったのですが、今は営業しておらず、ワイヤーロープをリフト代わりに使って上に登る機械小屋が、草に埋もれて残っていました。
 高尾原スキー場は、初心者や親子連れ向きのスキー場として、帰りの列車到着ギリギリまでスキーを楽しむことができる便利なスキー場でした。

画像
 今は使われなくなった高尾原山荘の中を覗くと、ずらっと並んだレンタルスキーと壁に掛けられた貸部屋の料金表などが、かつてのにぎわいを示していました。
 中国自動車道の開通や周辺国道の整備と共に、スキー客の交通手段は芸備線列車から自家用車やスキーバスに代わり、近くに猫山スキー場の開設などもあり、高尾原スキー場と道後山駅はその役目を失っていきました。

画像
 今は駅周辺に点在する民家以外に人の気配がないところですが、駅のすぐ近くに『学校法人順正学園 道後山セミナーハウス』の建物ができていて、学生さんが勉強や合宿に利用しているようです。

画像
 セミナーハウスの入口横に、道後山駅開設に尽力した人々の功績を記した記念碑が建っていました。今は亡き人々は、道後山駅の現状をどう感じるでしょうか。

 この夏の厳しい暑さをしばし忘れる涼しい風に吹かれながら、昔の思い出に浸った後、道後山駅を離れて帰宅しました。

つづく・・・
My Skype ID : yappon
お問い合わせはSkype Chatでもどうぞ

テーマ

関連テーマ 一覧

 


月別リンク

コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
JR道後山駅周辺の様子を見ていると、殺人的激暑だった今年の夏がウソだったかのような高原のすがすがしさを感じとることができました。
写真のアップありがとうございます。

私のおぼろげな記憶によると、小奴可駅から列車に乗っていると、道後山駅手前でそれまでうなりを上げていた列車のエンジン音が急に静かになっていたのではなかったでしょうか?
あのポイントが、太平洋へつながる瀬戸内海側と日本海側との分水嶺を超える場所になるわけですね。東城地域のほとんどは高梁川系の水系になるのでしょうから、あそこが異なった文化圏の入り口かな?
現在では同じ庄原市とはいえ、道後山駅周辺にはなにか結界が張られているように感じていたのは、異なった水のベクトルが発する気の影響だったのかも...
べっち
2010/09/15 15:35
 べっちさん、コメントありがとうございます。
 道後山駅は海抜600mあまりのところですので、海抜300mあまりの東城盆地が撮影の日に三十数℃だったのに対し、道後山駅では30℃を切っていたと思います。

 道後山駅手前の旧東城・西城町境のところが、高梁川水系の東城町側と江の川水系の西城町側の分水嶺となっていて、国道314号線にもその表示が出ています。ですから、小奴可駅から登ってきた列車が道後山駅の手前で分水嶺を越えたところで、列車のディーゼルエンジンへの負荷がかからなくなるんでしょうね。
 昔は川を使った水運が重要な輸送手段でしたから、東城と西城・庄原では違う経済圏を形作っていたわけです。
 そういった点から、昔から独立心の強い土地柄であったため、先の市町合併でも東城だけ揉めに揉めた経緯があります。
備後東城のYAPPON
2010/09/15 19:46
そうですね、東城は雨水のベクトルからすると、広島県域ではなく岡山県に属すか、もしくは独立したエリアといえるのでは?と思いますね。

ところでJRが国鉄だった時代、広島鉄道管理(広鉄)と岡山鉄道管理(岡鉄)と線区の管理区分境界が、たしか現在のJR塩町駅だったのではなかったかと思います。(東城の削岩機メーカーを山鉄と呼んでいましたが...)現在は境界がJR備後落合駅なんですね。

こんどJR芸備線の乗り鉄しに行きたくなりました。
べっち
2010/09/15 22:32
東城駅は最近どうなっているのでしょう?
私の父は昔、東城駅の隣りにある工場で働いていました。その工場は比較的大きく、荷物の出荷量が多かったのでしょう、当時の『キングオブ物流』だった貨物列車の専用引き込み線が引かれていました。
小学生だった私は、専用引き込み線を持つほど大きな工場で働く父を自慢に思ったものでした。
自然科学部
2010/09/17 03:19
自然科学部さん、コメントありがとうございます。
その工場というのは、私の勤務先ですね。
昔は道路状況が悪かったので、製品出荷の主役は国鉄貨物列車でした。そこで、東城駅から工場へ専用の引き込み線を設置して、人手による貨車への製品積み込みを行っていたものでした。
時代の流れにより、物流の主役はトラック輸送となり、芸備線での貨物列車の取り扱いが廃止となり、引き込み線も取り払われました。

好評の「○○駅は今」シリーズですが、備後落合から上り方向へ順番にたどっていますので、東城駅にたどり着くまでしばらくお待ち下さい。
備後東城のYAPPON
2010/09/17 05:52
はじめまして、広島市に住むたか++という者です。
私は先週12日に道後山駅に出かけました。辿り着くのに苦労しましたが(汗)、なんとなくまた行きたくなるように感じる駅でした。
たか++
2010/09/20 23:38
たか++さん、コメントありがとうございました。
広島市から道後山駅を訪れられたとのこと、車だと国道から外れたところにありわかりにくく、列車だと一日3往復しかないので、大変だったと思います。
今では周囲に何もなくなってしまった山の奥の駅ですが、都会の喧噪を一時忘れるにはいいところですね。
備後東城のYAPPON
2010/09/22 06:22
そうですか、東城駅からの工場引き込み線は撤去されてしまいましたか。
中国高速道路が延伸され、陸の孤島だった東城にも風穴が開き、物流におけるトラック輸送の機動性と経済性とを享受できるようになったわけですね。
列車貨物輸送はそれらの煽りで衰退しましたが、現在地球温暖化の原因の一つとされている温室効果ガスの排出規制がらみの問題で、列車貨物輸送が再び脚光を浴びようとしていますね。ハイブリッド機関車が、貨物列車を牽いて芸備線を疾走するのも絵空事ではないかもしれないですよね。

ここの管理人さんが、私の父がお世話になった工場と同じところに勤務されているとは、ちょっと感動ですね。
自然科学部
2010/09/22 19:44

コメントする help

ニックネーム
本 文

YAPPONの
つぶやき

道後山駅は今 「奥備後・比婆の街から」/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる